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浦和地方裁判所 昭和56年(ワ)635号 判決 1982年12月20日

原告

栗本裕美

右法定代理人親権者父

栗本和三

同母

栗本すい

右訴訟代理人

深沢守

深沢隆之

大谷文彦

右訴訟復代理人

山本道典

被告

新座市

右代表者市長

小船清

右訴訟代理人

菅原隆

主文

一  被告は、原告に対し、金一五四七万〇三九六円及びこれに対する昭和五三年四月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

「1 被告は、原告に対し、金二一〇〇万九一五二円及びこれに対する昭和五三年四月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

二  被告

「1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二  当事者の主張

一  原告―請求原因

1  当事者の地位等

原告は、昭和四六年九月一日生れの女子で、昭和五三年四月当時は被告の設置・管理する野寺小学校(以下「本件小学校」という。)の一年二組に在学していた者であり、そのころ、春原真理子(以下「担任」という。)は、一年二組の担任教諭、初雁建司(以下「校長」という。)は、本件小学校の校長で、いずれも普通地方公共団体たる被告市の公務員であつた。

2  本件事故の発生

原告は、昭和五三年四月二五日午前一〇時四〇分ころ、理科の授業時間中に教室に置き忘れた園芸用の種苗を取りに一年二組の教室へ入ろうとして、同教室西側出入口を通過しようとした際、同所付近においてふざけあつていた同級生Yの振り回した鉄製移植ごて(以下「本件移植ごて」という。)が原告の右目に当たり、その結果原告は右上目瞼裂傷、右眼球破裂の傷害を負い、後記5のとおり治療を受けたが右眼を失明するに至つた(以下この事故を「本件事故」という。)。

3  担任及び校長の過失

(一) 担任は、原告の担任教諭として原告を含む一年二組の児童を保護監督する義務を負つているところ、授業時間中に鉄製移植ごてのような危険な用具を児童に使用させるにあたつては、その用法如何によつて人体に傷害を与えることもありうるものであるから、担任には、①移植ごてを用いて行う授業の内容について予め適切な説明をするとともに、その安全な使用を指示し、②授業当日においては、移植ごてを使用する現場に行つて初めてこれを児童に配布するなどして自己の指導可能な場所的範囲内でのみ所持させるように注意するほか、③移植ごてを児童に所持させる場合には、Yや原告らのように小学校へ入学して間もない児童に対しては、同児らが未だ危険状態を認識し、これを回避する能力にも乏しいのであるから、目を離さないようにするのは勿論、授業を行う場所から離脱する児童の生じないように監督すべき義務があつた。

しかるに、担任は、一年二組の児童のうち、その一部を教室に残した状態で、その他の児童を授業場所である学級園に行かせる一方で、教室に残つた児童には移植ごてやその他の園芸用具を所持させたまま何ら適切な指導もせずに同児らを放置するという雑然とした授業を行つていた。このように、担任が学級担任として当然に果すべき前記監督義務を怠り、漫然と事態を放置した過失によつて本件事故が発生したのである。

(二) 校長は、本件小学校の校長として被告に代わつて担任を指導監督すべきところ、これを怠つた過失により本件事故を発生させたものである。

4  被告の責任

本件事故は、右のとおり被告市の公務員である担任及び校長の過失により発生したのであるから、被告には国家賠償法一条により原告の被つた損害を賠償する責任がある。

5  損害

(一) 治療関係費

金九三万四二八九円

(1) 治療費

金四八万九三七二円

原告が昭和五三年四月二五日から昭和五七年七月二八日までの間武蔵野赤十字病院(東京都武蔵野市境南町一丁目)、井上眼科病院(東京都千代田区神田駿河台四丁目)、杏雲堂病院(同区神田駿河台二丁目)、国立病院医療センター等において治療等を受けたことにより要した費用(入院費、眼鏡購入代金を含む。)は合計金四八万九三七二円である。

(2) 入・通院付添費

金二一万一〇九七円

原告は、前記傷害を治療するため昭和五三年四月二五日から同月二七日まで武蔵野赤十字病院へ、右同日から同年五月一七日まで及び昭和五五年一月一五日から同月二三日まで井上眼科病院へそれぞれ入院(合計三二日間)し、昭和五三年五月一八日から昭和五七年九月三〇日までの間右病院等へ通院(実日数四八日)したが、その間入院中は原告の母すいが昭和五三年四月二五日から五月三日まで及び昭和五五年一月一五日から同月二三日までの一八日間、家政婦が昭和五三年五月四日から同月一七日までの一四日間、通院中は、原告の父和三又は母すいがそれぞれ原告に付添つた。右付添の費用は次のとおり入院によるもの金一三万九〇九七円、通院によるもの金七万二〇〇〇円である。

ア 昭和五三年四月二五日から同年五月三日まで(九日間)、昭和五五年一月一五日から同月二三日まで(九日間)、いずれも一日当たり金二五〇〇円の計金四万五〇〇〇円、昭和五三年五月四日から同月一七日まで(一四日間)金九万四〇九七円の合計金一三万九〇九七円。

イ 昭和五三年五月一八日から昭和五七年九月三〇日まで(実日数四八日間)一日当たり金一五〇〇円の計金七万二〇〇〇円。

(3) 入院雑費

金一一万三八七〇円

原告が前記入院中に要した雑費は、合計金一一万三八七〇円である。

(4) 入・通院にともなう交通費

金一一万九九五〇円

原告の前記入・通院にともなつて原告及び和三・すいが病院へ往復するに要した費用は合計金一一万九九五〇円である。

(二) 逸失利益

金一三五一万三三四一円

原告は、前記のとおり本件事故により右眼失明という後遺障害を受けたが、これは労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級第八級に該当し、右後遺障害によりその労働能力の四五パーセントを喪失した。原告は、本件事故当時、六歳であつたが、原告の就労可能年数は一八歳から六七歳までの四九年間であるから、その間の逸失利益を昭和五三年賃金センサスによる女子労働者の年間平均給与額金一六三万三二〇〇円を用い、中間利息の控除につきホフマン方式に従つて算定すると次のとおり金一三五一万三三四一円(円未満切捨)となる。

163万3200円×0.45×18.387

=1351万3341円

(三) 慰謝料 金五〇四万円

原告は、本件事故により前記のとおり入・通院をして治療を受けたが右眼失明という重大な後遺障害を受けるに至つた。これを金銭で慰謝するには金五〇四万円が相当である。

(四) 損害の填補

金四七万八四七八円

原告は、被告から治療費の一部として金四七万八四七八円の支払を受けた。

(五) 弁護士費用 金二〇〇万円

原告は、原告訴訟代理人に対し、本件事故による損害賠償請求の訴訟遂行を委任し、請求額の約一割に当たる金二〇〇万円を費用及び報酬として支払う旨約し、昭和五六年四月一五日、うち金三〇万円の支払を了した。

よつて、原告は被告に対し、国家賠償法一条に基づき、右5の(一)ないし(三)及び(五)の損害合計額から(四)の填補額を控除した金二一〇〇万九一五二円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五三年四月二六日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告―請求原因に対する認否と反論、その他の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、原告がその主張時分ころ、一年二組の教室西側出入口付近において、同級生Yの所持していた鉄製の本件移植ごてが目に当たり、右眼失明に至る傷害を負つたとの点は認めるが、事故発生の態様は否認する。その余は不知。担任は、本件事故発生当日第一時限目の終了後、一年二組の児童に体育着に着替えるよう指示し、児童の着替えがほぼ終つたころ、同児らを授業を行う予定の学級園に移動させたのであるが、このとき、Yは、着替えが遅れたため、それを見守つて同児の着替えが終るころ、同児に先だつて一年二組の教室を出た。ところが、担任が右教室のすぐ北側にある昇降口付近にまで行つたとき、忘れ物を取りに教室へ戻つてきた原告が、右教室へ入ろうとした所で、丁度教室から出たYと右教室西側出入口前廊下において出合い頭に衝突したのである。本件事故現場は、別紙図面のとおり、一年二組教室西側の出入口から廊下に出た位置であり、その位置は昇降口から教室へ入る者と教室の中から廊下へ出る者とは柱や右教室の戸等に視界を遮えぎられて互いに見通しのきかない状態になつている。本件事故はかような場所において、小走りに一年二組の教室へ入ろうとした原告が、たまたま右教室の西側出入口付近を通りかかつた他の学級の児童の背後を走つて通つたため、右教室から歩いて出て来たYが原告を認め、びつくりして本能的に手をあげ瞬間的に身構えようとした結果、同児の所持していた本件移植ごてが原告の右眼にあたつて発生したのである。

3  同3の事実は否認し、その主張は争う。移植ごてに関しては、教師用指導書によつても、小学校入学間もない四月ごろに、これを用いた授業を行うことが認められている。従つて、小学校一年程度の能力であつても、移植ごてがその用法如何によつては危険であることの予知能力は相当程度有しているから、その能力に応じて十分な指導を行えば足りるのであつて、必ずしもそれを使用する現場に行つて初めて児童に配布しなければならないものではないし、児童各自にそれを所持させた場合に全児童から目を離さないようにするということは教師に不可能を強いるものである。現に、担任は、本件事故発生の前日に理科の授業を実施するに当たつて花の種や移植ごてが家にあり、移植ごてについては、新たに買う必要はないから、それまでに使用したことのあるものは、それを持参すること、移植ごてを持つてくる時は、布袋等に包み、翌日二時限目の授業の際、学級園でそれを使用するまで包みを解いたり、それを振り回したり絶対にしないこと等を予め指導したほか、本件事故当日も、移植ごてを袋に入れたまま下に向けて学級園に持つて行くこと、これを振り回すことなどは絶対にしないように重ねて指導した。

前記のように本件事故は、原告及びY双方が互いに見通しのきかない位置関係にあつた状況の下において、きわめて偶発的に発生したのであるから、Yが教室内へ駆け込んでくる者がいることを予見して衝突を回避することは不可能であつたし、Yが思わず手をあげて身構えようとしたのは、同児にとつていわば正当防衛ないしは緊急避難行為といえる。仮に、同児が当時本件移植ごてでなく物差しその他の物を所持していたとしても本件のような事故を回避することはできなかつた筈である。従つて、担任がかようなYの行為を予見してYもしくは一年二組の児童を指導監督することは不可能であり、担任には勿論担任を監督する校長にも何らの過失も存しない。

4  同4の事実のうち、担任及び校長が被告市の公務員であることは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

5  同5の事実につき(一)は不知。(二)のうち原告が右眼失明の後遺障害を受け、それが身体障害等級第八級であることは認めるが、その余は争う。原告には一般の授業や体育の授業等において、他の生徒に比し運動能力その他においてほとんど差はないし、一般的には自動車の一種免許の取得も可能であり、職業選択の範囲も広範囲にわたつて残されているから四五パーセントの労働能力喪失率は過大に失する。(三)は争う。(四)は認める。(五)は争う。

6  仮にYの行為に過失が認められるとすれば、原告にも周囲の状況を確認しないで廊下を小走りに走りながら教室へ入ろうとしたことに過失が認められることになるので、損害額の算定にあたつては、原告の右過失を斟酌すべきである。

三  原告

被告主張6の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

第一当事者の地位等

原告は昭和四六年九月一日生れの女子で、本件事故の発生した昭和五三年四月当時、本件小学校の一年二組に在学しており、担任(春原)は、そのころ一年二組の担任教諭、校長(初雁)は、そのころ本件小学校の校長で、いずれも普通地方公共団体たる被告市の公務員であつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

第二本件事故の発生

一原告の負傷

原告は、昭和五三年四月二五日午前一〇時四〇分ころ、一年二組の教室西側出入口付近において、同級生Yの所持していた鉄製の本件移植ごてが目に当たり、右眼失明に至る傷害を負つたことは当事者間に争いがない。

二本件事故発生に至る経緯と原告の治療経過

1  <証拠>を総合すると、

(一) 本件事故当日は、原告の属していた一年二組は二時限目が理科の授業で、教室の南側(窓側)にある学級園においてあさがおの種を蒔くことになつていた。そこで、担任は、一時限目が終ると学級の児童全部に体育着に着替えるようにさせ、大部分の児童の着替えが終つたころ、それが終つた者から学級園へ行くように指示し、教室の前に立つて児童を誘導していた。ところがYら数名の児童は着替えが遅れたため、担任はそのまま教室に残つて右児童の着替えの終るのを見守り、Yが着替え終つたころ、右児童らを教室に残したまま学級園へ移動し、右児童らは教室で騒いでいた。

(二) 一方、原告は、Yらとは先に教室を出て学級園に向つたが、途中で移植ごてを教室に置き忘れたのに気付き別紙図面のとおり一年二組教室北側の昇降口から同教室の西側出入口に近づいたが、同出入口付近でYともう一人の男子児童が移植ごてを振り回していたので、東側出入口から教室内へ入ろうとしたものの、同出入口の戸(引き戸)が開かなかつた(ただし、その原因が施錠されていたためであるか否か明らかでない。)。そこで原告は、再び西側出入口に歩いて近づき、丁度Yらが移植ごてを振り回すのをやめたので教室内へ入ろうとした時、Yの所持していた本件移植ごてが原告の右眼に当たつた。

(三) Yの所持していた本件移植ごてが原告の目に当たつた瞬間にはY・原告いずれの方も転倒したりしなかつたし、原告の右眼を除いて負傷したところはなく、Yと原告の身体はほとんど接触さえしていなかつた。

(四) Yの所持していた本件移植ごては、本件事故当時薄いビニールの袋の中に入れられてはいたが、全体に錆もなく、その先端部分は鋭利な刃物のようになつており、原告の受けた傷の状態は右上眼瞼と右眼角膜全長とをいずれも水平に走る裂傷であり、原告の右眼を治療した医師は「鋭利な刃物によつて起こされたと思われる」旨診断している。

以上の事実が認められる。もつとも、被告は、本件事故は小走りに教室へ入ろうとした原告と教室から廊下へ出ようとしたYとが出合い頭に衝突した結果発生した偶然の事故である旨主張し、<証拠>にはこれに符合する部分があるが、右各証拠はいずれも首尾一貫しないうえに曖昧であり、前記各証拠に照らし採用できない(仮に、原告が走つてきた状態でYと出合い頭に衝突したのであれば、原告とYの身体がぶつかり、いずれかの者が転倒するか、転倒しないまでも、打撲による痛みを訴えるものと考えられるところ、<証拠>によれば、そのような訴えもなかつたものと窺えるし、またYの所持していた本件移植ごてが、真つ先に原告の目に当つて衝突したのであれば、原告の傷害の状態が右認定のようなものとなることは到底あり得ないものと考えられる。)し、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定事実によれば、原告が二回目に一年二組教室の西側出入口に歩いて近づいた時点において、Yがふざけていたか否かはともかくとして、右出入口付近で持つていた本件移植ごてを振り回したため、ビニールの切れたところから外に出ていた先端部分が原告の目に触れた結果、本件事故が発生したものと推認することができる。

2  <証拠>によると、

原告は、負傷した後、学校の保健室で応急手当を受けたうえ、当時本件小学校の校医であつた新座市内の小池眼科医院へ連れて行かれたが、同医院では緊急の手当以上には処置できないということであつたので直ちに救急車で東京都武蔵野市内の武蔵野赤十字病院へ運ばれ、そのまま同病院へ入院して手術を受けた。その後、昭和五三年四月二七日原告は東京都千代田区内の井上眼科病院へ転院して同年五月一七日までは入院のうえ、退院後は同病院へ通院して治療を受けていた。原告の受けた傷害は、前示右上眼瞼裂傷のほか、右眼角膜が硝子体に達するまで切れ、眼球破裂に至つていたため、角膜縫合、虹彩切除の手術が行われた。手術後の経過は順調であつたが、右眼の視力は、同年六月ごろには0.03に低下し、八月ごろには明暗を弁別できるだけの状態になり、その後完全に失明するに至つた。ところが、昭和五五年の一月ごろ、原告の右眼に右傷害が原因で緑内障が併発したため、原告は同月一五日から二三日まで井上眼科病院へ再度入院して虹彩切除の手術を受け、爾来現在に至るまで定期的に通院している。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

第二担任の過失

一小学校の教諭は、学校教育法に定める小学校の目的、教育の目標、及び教諭の行う職務の内容、性格等からくる当然の帰結として、学校における教育活動及びそれに密接した児童の生活関係について、児童を保護、監督すべき義務があり、かつその義務の内容は、児童の心身の発達段階に応じてその生命身体の安全につき、予見可能性のある限りで万全を期すべき高度のものであると解される。特に小学校入学後間もない児童については、それ以前に幼稚園保育による集団生活を経験している場合がほとんどであるとしても、幼稚園とは異なつた新しい集団教育の場に置かれているのであるから、右児童を担任する教諭は、教育活動において児童に危険な用具等を使用させる場合には、単に口頭で危険な行為をしないように注意するだけでなく、可能な限りで、自分が直接指導監督できる状態においたうえでそれを使用させるなどして、他の児童に危害を加えることのないように十分な配慮をしなければならない義務があるものと解される。

二そこで、この点を本件事故について検討すると、

<証拠>によれば、担任は、本件事故の数日前に父兄宛に理科の時間で移植ごてを使用するからそれを紙袋等に包んだうえ児童に所持させるように書面で連絡した後、本件事故の前日、児童が帰宅する直前に、同児らに対し、それまでに移植ごてを使用した経験のある者で、新たに買い求めなくてもそれが家庭にある場合には、紙袋ないしは布袋に入れて持参するように指示したところ、それに該当する児童が約四〇名中約一〇名いたこと、担任は、本件事故当日も、一年二組の児童に対し授業開始前に、持つてきた移植ごては理科の授業が始まる迄は絶対に出さないことを、第一時限目の授業終了後には、これから学級園に行くが、そこに着くまでは移植ごてを下に向けて持つていくことをそれぞれ注意したことが認められるが他方本件事故が発生したのは、原告ら一年生が入学後の一八日目であり、各教科の授業が開始されてから一、二日しか経過していない日であつたこと、担任は、昭和五三年度以前にも一年間一年生の担任を務めた経験があつたこと等から、この時期の児童は教師の指示をよく守り指導し易いと判断していたものの、担任がそれまでに理科の授業のために児童に移植ごてを持参させたのは本件事故当日が初めてであつたこと、担任は、本件事故前日には、約一〇人の児童が移植ごてを持つてくる予定であることを確認していながら、本件事故当日は、何人位の児童が、どのような状態で移植ごてを持つてきたか全く確認せずにそれを各児童に持たせたままであつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実に前示二の1で認定した事実を総合すると、担任としては、本件事故が発生した当時は自己の担任する一年二組の児童が小学校に入学して間もない時期であつて、児童全員が小学校における規律に十分馴染んでいるとは限らないうえに、教師たる担任自身も各児童の性格や性質を必ずしも十分掌握していたものとは考えられないころであるから、各児童がその所持している移植ごての危険性を果して十分認識できたか否か疑問視して、児童を自己の目の届かない場所に分散させるのであれば、児童の所持している移植ごてを集めさせて自ら学級園に運ぶかもしくは自己と行動を共にできる児童に運ばせるかあるいは移植ごてを各児童に所持させたまま学級園へ移動させるのであれば、全児童が着替えを終るまで児童を教室に待機させ、児童と一緒に学級園へ移動する等の方法をとつて事故防止に万全の配慮をすべき注意義務があつたのにかかわらず、この時期の児童は教師の指示を忠実に守るから、移植ごてを持たせたままでも事故は起きないものと安易に判断して、誰が、どのような状態で移植ごてを持つてきたかも確認せずに一部児童を学級園へ移動させたうえに他の児童を移植ごてを持たせたままの状態で教室に残し、自らも教室を離れた結果、監督する教師のいない教室に残つた数名の児童のうちの一人であるYが、その所持していた本件移植ごてを振り回して原告に傷害を与えることになつてしまつたものと解される。

そうすると、担任が教師に要求される前記義務を尽していたならば、本件事故の発生は防止できたものと解されるので担任には児童に対する監督義務を怠つた過失があつたものといわざるを得ない。

第三被告の責任

担任が被告市の公務員であることは当事者間に争いがなく、公立小学校における教師の教育活動は国家賠償法一条にいう公権力の行使にあたるものと解すべきところ、第二で判示したとおり、担任には職務を行うにつき過失があつたのであるから被告は同条に基づき原告の被つた後記損害を賠償する責任があるものといわなければならない。

第四損害

一医療関係費

金八四万〇一七四円

1  治療費 金三六万四六五七円

<証拠>によれば、本件事故による原告の治療費は、前示武蔵野赤十字病院における入院、井上眼科病院における入・通院分のほか、東京都千代田区内の杏雲堂病院、国立病院医療センターにおける診察代等及び眼鏡購入代金を含めて合計金三六万四六五七円であることが認められ、これに反する証拠はない(なお、<証拠>によれば、原告は治療費の中に家政婦の付添費用、寝台自動車代金、武蔵野赤十字病院の証明料を含めてこれを算定していることが窺えるが、右のうち家政婦の付添費用は2の入・通院付添費に、その余は3の入院雑費として算定した。)。

2  入・通院付添費

金二一万一〇九七円

原告は、本件事故による傷害の治療を受けるため、前示のとおり、昭和五三年四月二五日から二七日まで武蔵野赤十字病院へ、右同日から五月一七日までと昭和五五年一月一五日から同月二三日まで井上眼科病院へ入院し、更に、右再入院までの間及び退院後右病院等へ通院し、治療、診察等を受けているが、<証拠>によれば、原告が入院している期間中、昭和五三年五月四日から一七日まで家政婦が、その余の期間は原告の母すいがそれぞれ原告に付添い、通院(実日数四八日)中は、原告の父和三又は母すいが原告に付添つたこと、そのために家政婦に支払われた金額が合計金九万四〇九七円であつたことが認められ、保護者の付添費としては、少なくとも入院中が一日当たり金二五〇〇円、通院中が一日当たり金一五〇〇円の各割合によるそれぞれ一八日、四八日分の計金一一万七〇〇〇円を支出したことが経験上容易に推認される。

3  入院雑費

金一四万四四七〇円

<証拠>によれば、原告が前示入院中の雑費(寝台自動車代金、武蔵野赤十字病院の証明料を含む。)は、少なくとも合計金一四万四四七〇円を下回らないものと認められる。

4  入・通院にともなう交通費

金一一万九九五〇円

<証拠>によれば、原告が前示のとおり武蔵野赤十字病院、井上眼科病院等へ入・通院等をしたことによる交通費は合計金一一万九九五〇円(保護者を含む電車運賃三二回分金二万五〇五〇円、自家用車を利用したための高速道路通行料金三六往復分金二万三四〇〇円、燃料費四二往復分金七万一五〇〇円)を下回らないものと認められる。

二逸失利益

金八六六万八七〇〇円

原告は、本件事故により右眼失明の後遺障害を受けるに至つたこと、右後遺障害は労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級第八級に該当することは当事者間に争いがない。

ところで原告の右後遺障害による労働能力の喪失割合は、労働省労働基準局長通達(昭和三二年七月二日、基発第五五一号)の別表労働能力喪失率表によれば、四五パーセントであることが認められ、原告の年令、後遺障害の部位、程度(単に失明しているというだけでなく法定代理人栗本和三の尋問結果によれば、右眼の上半分は黒く下半分は白くなり、外貌上も醜状を呈していることが認められる。)及び将来の見通し(原告が選択できる職業の範囲が著しく制限されるのは経験則上明らかである。)等を総合すると原告が運動会等では他の児童と同じように走つたり、地区対抗リレーの選手として出場しているという被告初雁建司本人尋問の結果を考慮しても原告の労働能力喪失率は四五パーセントを下回らないものと認めるのが相当である。

原告は、前示のとおり、昭和四六年九月一日生れで、本件事故当時六歳であつたから、その就労可能年数を四九年(一八歳から六七歳、本件事故後一二年から六一年)とし、昭和五六年の賃金センサスによる高校卒女子労働者(パートタイム労働者を除く。)の年間平均給与額金一九〇万四一〇〇円を基準に、原告の後遺障害による逸失利益の本件事故発生時における現価をライプニッツ方式に従つて年五分の中間利息を控除して算定すると、次のとおり金八六六万八七〇〇円(円未満切捨)となる。

190万4100円×10.1170×0.45

=866万8700円

三慰謝料 金五〇四万円

原告の前示年齢、性別、傷害の部位、程度、治療の経過並びに後遺障害の程度、将来の見通し等を総合すると、本件事故により原告が蒙つた精神的損害は、少なくとも金五〇四万円を下回らないものと認めるのが相当である。

第五損害の填補

金四七万八四七八円

原告が被告から本件事故によつて受けた傷害の治療費等として合計金四七万八四七八円の支払を受けたことは原告の自認するところである。

第六弁護士費用 金一四〇万円

原告(法定代理人)が本件訴訟の提起、追行を弁護士たる本件訴訟代理人らに委任したことは記録上明らかであり、右事実と弁論の全趣旨によれば、原告はその主張のとおりその費用、報酬として金二〇〇万円の支払を約したものと認めることができるところ、本件における審理の経過及び認容額等に照らすと、原告の弁護士費用報酬支出による損害のうち、本件事故時の現価に引き直して金一四〇万円を本件事故と相当因果関係のある損害とするのが相当と認められる。

第七過失相殺の主張について

被告は、本件事故が発生したことについては原告が一年二組の教室へ入ろうとする際、周囲の状況を確認しないで廊下を小走りに走つてきたことにも過失があるから、これを損害の算定にあたつて斟酌すべき旨主張するが、前記第二の二1で判示したように、少なくとも原告が右教室の西側入口へ接近した時点においては、走つていてYに衝突したのではないから、右被告の主張は前提を欠くものであつて理由がなく、過失相殺すべき限りでない。

第八結論

よつて、原告の本訴請求は、被告に対し、金一五四七万〇三九六円(第四の一ないし三の合計金額から第五の填補金額を控除し、その残額に第六の金額を加えた金額)とこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五三年四月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(高山晨 野田武明 友田和昭)

別紙<省略>

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